日本神代史03

●日本神代史02から、以下の選択肢があり得る。これは大きな問題である。之を解決せずに先へは進めない:

・(ス遡り説)スサノオが本当はオオヒルメムチと同じくらい時代を遡る

・(オオ降り説)本当はオオヒルメムチが大きく時代を降る(そうすると、その上流に皺寄せがくる)

・(スオオ異時代説)スサノオとオオヒルメムチの夫々の時代に嘘はないが、同年代というのが捏造。例えば、スサノオの出雲侵略の時代は正しいが、オオヒルメムチと関与したことは、その正当化のため捏造された、等

・(オオ不在説)スサノオの時代に噓はないが、オオヒルメムチが本当は存在しない。オオヒルメムチが単独で登場する場面は殆どなく(?)、スサノオと関連した話が殆ど。よって、スオオ異時代説と大差ないかもしれない

 

捏造の規模としては

オオ不在>スオオ異時代

オオ降り説も、その上流、伊弉諾か農狭槌の時代が捏造ということになり、影響甚大である

ス遡り説は、斎木説全ての話がスサノオと関係ないことになる。従って、斎木説のスサノオ≡徐福は棄却される。また、富士古文献におけるスサノオが出雲を平げた事件と、斎木説における出雲の侵略が別時代に各々勃発したことになる。しかし、両者の話の中で、事代、大巳貴、少名彦、が登場するため、別時代に併存することは棄却される。従って、斎木説全てが棄却される、若しくは斎木説の時代設定が捏造で本当はオオ時代まで遡ることになる。斎木説では、「いわゆるイズモ族は三千年以上前に、日本の本州に民族移動したと言う。「鼻の長い動物の住む国から来た」との伝承がある」とあるので、最も遡ってもBC1000数百年程度となる。これは、神農の年代から想定されるオオヒルメムチの年代が、少なくともBC21~17、若しくは最も降っても16世紀辺りであり、「三千年以上前」がBC16世紀まで遡れば交差もありうるが、オオヒルメムチの方が古い可能性が高い。この場合、斎木説全てが棄却されることになる、とほぼいえる。筆者はこの分析において、斎木説が有する他説や他遺跡との整合性を鑑み、その全てが棄却することは不合理である、という立場を一旦とる。同時に、他の角度、例えば建御名方尊等の登場人物の文献から、出雲侵略時代の特定の確度を高めたいと思う。